「人は死んだ後どのようになるか?」 というアンケートによると、 「何も分から ない」 と回答した人が45%で最も多く、次に 「死んだ後に何かがある」 と回答した人は30%で、 「死んだらすべては終わりで何もない」 と答えた人は最も少なくたったの25%でした。

私は今まで多くの人と会う機会がありました。 その人たちと話してみると 実際にはそのほとんどの人が、地上での生活が終わる日、すなわち 『その日』 が来た後、永遠に天国(パラダイス)で過ごしたいと願っていたのです。聖書には『その日』が来る前に、どこでどのように永遠を過ごせるのかが書いてあります。 今日、幸いにも誰もがそれを知ることができることを皆さんに分かってほしいのです。

その根拠 聖書では…

イエス様は、パラダイスについてこのように仰せられました。
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。 神を信じなさい。 わたしの父の家
(パラダイス) には、住まいがたくさんあります。 …あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」

イエス様は、 私達一人一人の罪の身代わりとなって十字架の上で罰を受けて死に、 三日目に復活され、 ご自分の父なる神の所 (天国) に昇天されました。 今、イエス様はご自分を信じる人々のために永遠のパラダイスを準備しておられます。

イエス様はさらに仰せられました。
「狭い門から (パラダイスへ) はいりなさい。 滅び (地獄) に至る門は大きく、その道は広いからです。 そして、そこからはいって行く者が多いのです。 いのち (パラダイス) に至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」 パラダイスの門を見出すことは可能だと、イエス様は教えて下さいました。 しかし、見出す人は少ないとも言われました。 それは入るのに難しいからではありません。 実は、その逆で、簡単です。

また、主イエスは 「事実、わたしの父 (天の神様) のみこころは、子 (キリスト)を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。 わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日に (永遠のパラダイスで) よみがえらせます。」 と仰せられました。

聖書の黙示録の中にはパラダイスに関して詳しく書かれています…

1.パラダイスでは悲しむこと、苦しむことがありません!

聖書には、 「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」 「彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。」 とあります。 ここに全能なる神様からの約束があります。 永遠のパラダイスでは、病気による死や身体の痛み、罪による悩み、心配事、悲しみ、苦しみなどを取り除いて下さいます。

また聖書には、 「小羊 (キリスト) が、彼ら (キリストを信じた者) の牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。 また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」 と書いてあります。

2.パラダイスには、悪い人は一人もいません!

さらに聖書には、 「しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都 (永遠のパラダイス) にはいれない。」 と書いてあります。 悪いことをする人や嘘をつく人さえもパラダイスにはいません。 「嘘も方便」 いう言葉がありますが、神様にとってはこのことも当然罪となります。 「それでは、一体誰が天国に行くことができるのでしょうか?」 と皆様は言われるでしょう。 それは小羊なるキリストに罪を赦された人たちだけです。

聖書は、 「わたし (キリスト) は、・・・彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタン (悪魔) の支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国 (永遠のパラダイス) を受け継がせる。」 と言っています。

1.パラダイスには、世界中のありとあらゆる人種がいます。

「その後、私は見た。 見よ。 あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆が、白い衣を着、…御座と小羊との前に立っていた。 彼らは、大声で叫んで言った。 「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」

「神の子羊」とは、キリストのことです。 神様は、私たち一人一人を愛し、キリストを通して地獄から救いたいと願っておられます。 自分の罪を認め、それをキリストに告白して信じる人は、清められ、 パラダイスに行けるようになります。 神様は、 なるべく多くの人が天国に行けるよう、 この簡単な救いの道をお考えになりました。 そしてキリストに対する信仰によって、私たちの罪のすべてが赦され、私たちの心は清くなります!

2.パラダイスには、美しく、目にしたことのないものばかりがあります。

「都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。」 「十二の門は十二の真珠であった。」 「水晶のように光るいのちの水の川を見せた。 それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。」 「川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。 また、その木の葉は諸国の民をいやした。」 と聖書に書いてあります。

さらに聖書には「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。 神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」 と書いてあります。 それは、私たちの想像を越えた素晴らしいパラダイスがクリスチャンには用意されています。

『その日』は、早かれ遅かれやって来ます。 その後、皆様はどこにいたいと思われますか? 神様は自分には無関係で、何の役にもたたない遠い存在と今は考えておられるでしょう。 しかし、神様自ら人間に近づいてくださいました。 神様は、私たちと神様の間を隔てている罪を取り除くために、愛するひとり子をこの世におつかわしになったからです。 それはそのかけがえのないひとり子を十字架で死にいたらせるためでした。

神のひとり子は人を地獄から救うためにこの苦しみを味わわれました。 それは、 あなたを愛しておられるからです! そして、 神様は、 御子イエスを死からよみがえらせ、 死に対して勝利されました。 そして神様は、この勝利した力を主イエス・キリストを信じるすべての人に与えられます。 イエス様ご自身がこのことを約束なさいました。 「わたしは、よみがえりです。 いのちです。 わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」

ですから 『その日』 に対する恐れや不安は神様によって取り除かれます。 そればかりか、 『その日』 が来る前の今のあなたの人生をも豊かにされます。 冒頭のアンケートで、ほとんどの人が天国とは 「良い行いをする人」 のためのものと思っています。 でも何らかの基準がなければ、天国に入るために良いことを十分に行った生涯かどうかは誰にも分かりません。

しかし、聖書は、私たちが 『その日』 が来る前にパラダイスに入れるかどうかを知ることができると教えています。 なぜなら、その 「救いの道」 の基準とは、私たちの一生涯の行いが良いか悪いかによるからではありません! 聖書に、 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。 それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 行ないによるのではありません。 だれも誇ることのないためです。」 とあります。

天国に入るには、自分で自慢するような良い行いで入るのではありません。 そこに入るための切符は、全能なる神と彼のひとり子イエス・キリストに対する信仰-それだけです。 信じる人々に対して神様は、限りない豊かな愛と恵みを与えられるのです。世の中では変わりやすく不確かなものが多くて、漠然とした不安や将来に対する心配事が尽きないでしょう。 死後の世界はなおさら未知で、不安や心配を感じるでしょう。

でも安心してください! このように全能なる神の御言葉である聖書は、永遠に天国で生きるかまた永遠に地獄で滅びるかとあなたに尋ねています。 もし、あなたが正直に次のようにお祈りできるなら、あなたも生まれ変わり、神の国であるパラダイスに入ることができます。

「天のお父様、私は、生まれながらの自分の考えによって言葉を語り、行動してきました。 自分を信頼し自分のために生きてきました。 私は、あなたの御前には罪ある人であると認めます。 私は、あなたが私の罪の身代わりとして死ぬためにあなたのひとり子、主イエス・キリストをおつかわしくださったことを信じます。 イエス様、私は今、あなたを私の救い主として心の中にお迎えいたします。 ありのままの私をお赦しくださってありがとうございます。 キリストの尊い御名によって祈ります。 アーメン。」

 イェス様は一度も罪を犯したことはありませんでした。しかし、彼は私たちの罪を背負って、私たちの身代わりに十字架につけられました。 その時、彼の両側に二人の囚人も十字架につけられました。 イェス様は一人の囚人がご自分に対して信仰を持っていることに気づいて、彼に向かって次のように言われました。 「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 イエス様と彼を信じた囚人はその日に死にました。 しかし、彼らはパラダイスでもう一度会いました。

『その日』 が来た後、あなたは永遠のパラダイスでイエス様にお会いしたいと思いませんか?