
何を信じているのか
イエスを信じることがすべての開始です。
唯一の神は、 父・子・聖霊の神です。 (これを三位一体の神と呼びます) この神を信じ救われるためには、神の御子であるキリスト ・ イエスを信じることが必要です。 「私は道であり、 真理(実際)であり、 命である」というイエスの言葉が聖書にあります。 道としてのイエスは、 神から離れてしまった人と神を再びつなぎ、 人と神を出会わせます。 またこの真理、実際としてのイエスは、 人に救いの実際を味わわせることができます。 さらに人にとっての永遠の命としてイエスは、 神の裁きと刑罰から人を救い出します。
永遠の滅びから救われるために必要な方、 それがイエスなのであり、 唯一の道です。 聖書にこのような言葉があります。 「人はみな自分自身のことを求めて、キリスト ・ イエスのことを求めないのです。」 と・・・。 イエスに目を向けてみてはいかがでしょうか?
救いとは
神の見方からすると人は罪の存在であり悪魔の力によって束縛され、 神の裁きにより永遠に滅びる状態であるとされています。 この悪魔に拘束された罪の人を救うためにイエスが来られました。 これは、 神が人を愛するゆえに、 神自らが開かれた救いの道です。
この救いにあずかるかは、 あなた次第です。 すなわち、 神を選ぶかどうかです。 もしイエスをあなたの救い主として信じ受け入れるのであれば、 神の救いがあなたに到来します。 この救いは、神と共に将来永遠に住む約束だけでなく、 神と共に今を生きる新しい人生の開始です。 神は人の心を見ています。 人の心が神に向く時、 あなたは神を見つけだし、 神の救いを味わうでしょう。
クリスチャンとは
イエスによって神を信じ受け入れ、 救いにあずかり、 永遠の命をもち、 神から再び生まれた者、 それがクリスチャンです。 個人的に神のためにイエスによって生活するだけでなく、 団体的に教会のクリスチャンたちと共に、 神からの慰めと平安と力と喜びなどを得て、 神と人に仕える生活です。 それは、 本当にすばらしいものです。 そして神様の深みを経験していくでしょう。
罪とは
神は、 目的をもって人を創造されました。 しかし、 最初の人が神の敵の誘惑に陥ったため、 人の中に罪というものが入り込んでしまいました。 すなわち何か悪いことをしなくても、 人の中には罪があり、 この罪の働きにより、 人は創造主の意図、 目的に反した心、 すなわち神を思わない、 神に敵対する心を持つようになりました。 神の目的を達成し、 人を本来の状態に回復することこそが救いであり、 これに従わないものは神の目に罪となります。
教会とは
教会とは別に建物を指すのではありません。 立派な建物よりも大切なのは、 一般の人が来られてわかりやすく聖書の重大な話を聞けることです。 教会の集会は始めての方でもお気軽に来られて、 参加できるようになっていますが、 もちろん、 日曜ごとにクリスチャン達もいて、 神様に向かって心から賛美をし、 共に祈り、 共に励まし合います。 また、 クリスチャン達が聖書に書いてあるように、 「神の子供らしく」 成長できるように、 牧師は励ましのメッセージをもいたします。
私達の朝の集会が終わりましたら、 できる人たちが残って、 一緒に食事をし、 ゆっくりと交わりをします。
最後に付記
普通、 人は日常生活をしている中、 神のことを考え、 心を神に向けることは少ないかもしれません。 しかし、 何かが起き、 困窮に陥ったり、 病気になったり、 悲しみに打ちひしがれた時など、 自然と人は神頼みをします。 このように、 人の内側には、 自然と神を思い、 神を必要とする心があるのではないでしょうか? あなたが望もうと望まないだろうと人の中にはそういう心があるのではないでしょうか?
人は神ではありません。 時間や能力のなど様々な制限の中で生きています。 このような人が、 神という制限のない存在やその方に関してすべてのことを知ることを望んでもそれは無理なことです。 人は、神より劣ります。 ですから、神について何か論じる前に、 ご自分の心に目を向けてみてください。 そこに答えがあると思います。 神を思う心、それはすべての人にあると私たちは信じます。
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